養老孟司、バカに退行?
脳・心・言葉 なぜ、私たちは人間なのか (カッパ・サイエンス―栗本慎一郎「自由大学」講義録)
- 作者: 栗本慎一郎,養老孟司,澤口俊之,立川健二
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1995/11
- メディア: 新書
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何気なく我が家の本棚を眺めていたら「養老孟司」という文字が目に飛び込んできてびっくりした。何しろ「養老孟司」と言えば我がブログでは目の敵にしているセンセである。インチキでデタラメな「ソシュール論」や「般若心経論」を振り回して社会に害毒を振りまく「害虫」扱い。そんな輩の本が我が家の神聖な本棚(ウソ)にあるはずがないと思わず手にとってしげしげと見れば、ありますよ、確かに読んだ覚えが…もう十年も前の話だけど…。要するに栗本慎一郎が主催していた「自由大学」の講義録なんだけれど、その講演者の一人に養老孟司が含まれていたわけ。けれども当時の自分はあくまで栗本慎一郎の本として読んでいて、講演者の名前など気に留めていなかったのだ…。いったいどんなことを話していたのだろうと改めて読んでみたら、結構まともな内容なので驚く。何が「実在」しているかを決めるのは「脳」であるという話なのだけど、そこまで来たらソシュールの「意味するもの」と「意味されるもの」までもう一歩、というか、もう、ほとんどそのものジャン! これを読む限りは養老孟司がソシュールを理解していないなんていうことはあり得ないことのように思えるのだけど…。しかも、この本の中で養老孟司の後に置かれているのが立川健二のソシュール論なんですよ。つまり、養老孟司はソシュールへの導入と位置づけられてるんですよ、この本の中では!
どう考えたって、養老孟司がソシュールを理解していないはずがないのに…
じゃぁ、何で? 何で「バカの壁」にはあんなバカなことを書いていたの?
分からん。
この講義をやった後、養老孟司はドンドンバカになっていって、「バカの壁」を書く頃にはソシュールのことなんか何が何だか分からなくなっていたということだろうか?