原武史『滝山コミューン一九七四』

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ

その佐藤亜紀が読んで今にも噴きこぼれんばかりに激しく興奮していた(←いつものことですが)ので、興味をそそられて読んでみました。

ところがこの奇っ怪な逸脱、実は、ソ連集団主義教育理論に基いた運動を展開する全国生活指導研究協議会なる悪の秘密結社の仕業だったらしい。

と、佐藤亜紀は納得し、実際、原武史もそう書いているわけなのですが、自分的には、それはちょっとちがうんじゃないのだろうか?、二人とも「敵の正体」を「誤認」しているのではないだろうか?、とついつい思ってしまったのでした。
だって、佐藤亜紀も書いているように「ウヨもナチもアカの仲間」なわけで、ソ連が滅んだ現在でもアカがウヨに替わっただけで、同じコトが行われているわけでしょう? つまり「彼ら」にとっては右とか左というのはどうでもいいことなんです。「ウヨもナチもアカの仲間だ」というのは全くその通り。「彼ら」の共通点は「近代市民社会」の理念に対する「保守反動」だということです。言い換えれば「市場経済社会」に耐えきれなくなって「共同体」目指して逃げ帰っていった連中ですね。(出典カール・ポランニ「大転換―市場社会の形成と崩壊」)
結局、「敵の正体」というのは明治維新でも敗戦でも変えることの出来なかった日本人一般の心の奥底に潜む村落共同体的な集団志向性そのもの、ぶっちゃけていえば「土人根性」なのであって、何というか丸山眞男的な「ニッポンの近代化の失敗」という観点から語られるべき問題じゃないのかなぁ、、、自分は何かそんな気がするんですよね。

「滝山コミューン」は、成年男子を政治の主体と見なしてきた日本の、いや世界の歴史にあって、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義」の試みだったのではないか。現代日本で女性の国会議員や地方自治体の議員が極端に少ないことからも明らかなように、政治参加に見られる男女の格差は、依然として顕著なものがある。こうした観点からも、実は見直されるべきものが含まれているように思われる。

…なあんて、未練たっぷりに原武史は書いているのだけれど、絶対無いから、そんなこと!
そんな場面で語られてきた「民主主義」って、「西欧近代社会」的な意味での、というか普通の常識的な意味での「民主主義」とは縁もゆかりもない全く別のものだから。ただ単に「全体主義」や「集団主義」をこれがホントの民主主義だと強弁しているだけだから。どんなデタラメでも千回くりかえして聞かせれば何だかそんな気もしてくるっていう、ただそれだけの話だから。

その日、私は同じ班のメンバーと一緒に、割り当てられた音楽室の掃除をしていると、代表児童委員会副委員長の朝倉和人が来て小会議室への出頭を命じられた。私はホウキをそこに置いたまま、音楽室のあった本校舎三階の西端から、小会議室のあった南校舎の二階まで、朝倉に連行された。
私はついに来るべきものが来たと覚悟し、特に抵抗することもなく、比較的冷静であった。…中略…
小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたように着席していた。…中略…
朝倉はまず、九月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を撹乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判するべきであると、例のよく通る声で主張した。
…中略…
驚くべきことに、全生研*1でもこのような行為を「追及」ではなく「追求」と呼び、積極的に認めていたのである。
次に引用するのは、その説明である。

集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじるものとして、ある対象に爆発的に集団が怒りを感ずるときがある。そういうとき、集団が自己の利益や名誉を守ろうとして対象に怒りをぶつけ、相手の自己批判、自己改革を要求して対象に激しく迫ること――これをわたしたちは「追求」と呼んで、実践的には非常に重視しているのである。

…中略…
私は自己批判を拒絶した。
代表児童委員会による「追求」をかわし、小会議室のドアを開けて逃げ出した私を、朝倉ら数人が追いかけてきた。私は本校舎一階東端の図工室に走り込み、千葉先生に助けを求めた。後に続いて図工室に入ろうとした児童たちを千葉は一喝し、追い払った。
…中略…
だが、このことは担任の三浦先生にも打ち明けることが出来なかった。「追求」を迫られたのは一度きりで、その後は朝倉が私に何か言ってくることもなかったものの、校庭で4年の学級委員から石を投げられたときにはさすがに愕然とした。

…野蛮人! 狂っている!! こんな経験のどこに「実は見直されるべきものが含まれている」のか全く理解できません。
著者は本書の執筆にあたって当時の同窓生や先生に会ってインタビューしたそうなのですが、そのことがかえって著者の筆を鈍らせているようです。
ここで唐突に話が飛びますが、大昔、それこそ何十年も昔の子供の頃に見たテレビのドキュメンタリー番組を思い出してしまいました。今考えてみると「横浜事件」か、それに類似した戦時中の言論弾圧事件を扱ったものだったようです。ある日、出版社の編集者たちが警察に呼び出され、殴る蹴るの暴行を受け、否応なしに「共産主義者」であることを「自白」させられるわけですね。それから20〜30年経って、当時の被害者たちが集まって、あの事件をこのままにしておくわけにはいかないだろうと話し合います。そして、伝手を辿って探し回った結果、当時、自分たちに直接殴る蹴るの暴行を加えた人物に辿り着き、ある料亭におびき出すことに成功します。さて、いよいよ直接対決。問題の人物を被害者数人が取り囲みます…
信じられないようなことが起こったのは、次の瞬間。ブタとゴリラを掛け合わせたような禿のジジイ(当時の拷問担当者)が「あのときは色々あって仕方がなかったんだよ。お互い様じゃないか…」と媚びるような下卑た笑いを浮かべてすり寄っていった途端、詰め寄っていったはずの被害者たちはヘナヘナになってしまうのです。毅然として過去の罪を追求することが出来ないんです。終いには、浮かない顔をしながらも、一緒に酒を酌み交わす始末。
確かに状況はちがいます。あちらは治安警察の拷問、こちらは小学校の学級集団づくり。あちらはブタゴリラのごとき獰猛な拷問のプロで、こちらは(それがどんな理想であるかは別として)理想に燃えた若い先生と子供たち。
でも、この被害者たちの態度と、本書に於ける著者の何か煮え切らない態度のあいだには、同じ精神の風土を感じないわけにはいきません。
何でも、時間が経てばうやむやのうちに水に流してしまうから、この国では何も蓄積されない。何百万人もの人々の生命が戦火のうちに失われても、本質的には何も変わらない。学校の現場だって何も変わりはしない。
でも、さぁ、それでいいのかなぁ…っていいわけないじゃん!
ねぇ、しっかりしてくださいよ、原先生!



《追記》as of 4th July, 2007

敗戦後の国民は「もう戦争はこりごり」という感情を抱いたものの、民主主義を欲したわけじゃありません。民主主義なんて知りませんでした。

そして今も「民主主義」とは何なのかさっぱり分かっていないんだ…と、宮台先生は心の中で密かに呟いていたのではあるまいか?、と想像します、勝手に。


しかし、この宮台先生のエントリーを読んでいると、何か、この人も煮詰まってきているんだなぁ…という感慨がしみじみと込み上げてきます。
曰く、

国民の道徳憲法に書かれていないのは問題だとほざくような政治家があふれ、アメリカが無理難題を要求してもノーと言えない政治家や官僚があふれるような国が重武装化すれば、周辺国どころか、我々も怖くて仕方ない。こうした理屈が分からない政治家を選ぶ「民度の低い国民」があふれる状態では、日本に不利になろうとも、アメリカに追従してもらったほうが「まだまし」でしょう。

これを、傲慢な発言だと眉をひそめる良識ある方もいらっしゃるでしょうが、でも、正直言って、こんなことを感じていたのは自分だけじゃないんだなと、ある意味、ホッとしてしまいましたよ、私は。ホントは全然ホッとするようなことじゃないんだけど…
しかし、

愛国心は日の丸・君が代でどうにかなる問題じゃありません。ファシズム国家ではファシズム優等生になり、GHQ占領下ではGHQ優等生になるような、世渡り上手を量産するだけでしょう。愛国者とはむしろ、こうした連中ばかりが政府を構成する場合には、政府転覆を企てる者のことです。

気持ちとしては分かるけれど、それこそいつか来た道で、かつて日本はそんなふうにしてファシズムへの道を転げ落ちていったんではなかったのかしら。2.26事件や5.15事件を引き起こし(そして自分たちの待望した世界をその目で見ることなく処刑されていっ)た「青年将校」たちも同じことを言っていたよね…
何か、ニッポンの未来が暗いんですけど…
気が滅入る…
早く梅雨が明けないかなぁ…