川崎市民ミュージアム「木村伊兵衛写真賞の30年」

写真が趣味と胸を張って言えるほどではないが一年ほど前からデジカメに目覚め頻繁に撮るようになった。デジカメだから気軽にどんどん撮ってその場で確認できてしまうのが大きい。自然とどんなふうに撮ればどんなふうに写るのか分かってくるので撮ること自体が楽しくなってしまったのだ。

そんな折、id:nyaofunhouseさんちの日記で「木村伊兵衛写真賞の30年」というのが開催されていることを知った。

「写真の芥川賞」(木村伊兵衛賞)の30年を一挙に振り返るというのだからこれは見応えがあるかも。日本の「芸術写真」つうのはどんなものなんだろうかと、「市井の一デジカメ小僧」として好奇心がムクムクと頭をもたげてくる…

で、行ってみて驚いたんだけど、日本の写真界って1997年頃から激変しているのね。id:nyaofunhouseさんの日記にも書いてあったし、会場で売ってたカタログ*1にも同じようなことが書いてあったけれど、本当にそうだった。
1970年代半ばというと日本もかなり裕福になって世の中にふやけた幸福感みたいなものが漂っていたはずなんだけど、その頃になってもまだ写真の世界は暗くて重いの。まぁ、それが「お芸術」というのか、そういうもんなんだろう。敬意は感じるけど好きかって訊かれたら、ちょっと「距離」を感じてしまう。中にはちょっと毛色の変わった人*2も混じっていたけど、基本的には「暗い・重い」が主流。それから「遠い世界」の専門家たちね。動物とか昆虫とかアラスカとか日常から離れた一つのものを撮り続けて蓄積していった人たち。この「暗い・重い」派と「遠い世界専門家」が二大潮流となって絡み合ってきたという感じ。

それが1997年頃を境に突然変わるんだよね。
まず都築響一(1997)が日本を軽くオチョクリ始めた辺りから様子が変わってきて、翌年のホンマタカシ*3や翌々年の鈴木理策は何だか「映像感覚」が「違う」! 妙に白々と明るいこの感覚は何だ?

そして2000年!
蜷川実花長島有里枝HIROMIXの三人娘がセットで受賞して世界は一変する。
別世界だよね、これは。女三人まとめて受賞って辺りに「ここらで一発話題作りでも…」という主催者側の作為みたいなものを感じないわけでもないのだけど、でもいい、これなら許すよ、私は。(←別に私に許してもらわなくたっていい?)
蜷川実花の色彩の氾濫にクラクラ来た。イイ! こういうの好き! あっという間に人気カメラマンになったそうだけど、そうだろうなっていう感じ。
長島有里枝がボーイフレンド(?)を塀の上にちょこんと座らせて撮った空と路地の写真も好きだ。何か好いんだよ、これ。ぐっと来る。*4

以降、写真というものが変わってしまったような気がする。
それまでの写真というと何だか求道者みたいな「写真家」が命懸けて撮ってるような「息苦しさ」があったのだけど、今はもうフツーの人がパチパチ気軽に撮るようになったというか、まぁフツーの人は昔からパチパチ気軽に撮ってたわけで、それでもイイヨっていうのか、そうやって撮った写真が「芸術」であっても構わないと認められ始めたっていうのか… 「解放」? そう、写真というものが「解放」されて「開放」されてしまったんだなという感じ。何から? 「芸術」から? さぁ? よく分からん。そもそもこの節の文章は自分でも何が言いたいのか分からない。

…要するに、自分みたいな趣味の写真にも少しは居場所があると言い訳しているだけなのかな?…

というわけで、フツーの人がパチパチ撮った非芸術写真もよかったら見てやってください。
Fotolog - tach's profile
この頃は「傑作」が撮れないので半ば放置状態ですが…
一年で早くもネタ枯れか…

写真日記

*1:「アサヒカメラ」の別冊

*2:「昔の人」で自分的に印象に残ったのは三好和義(1985)と今道子(1990)。三好和義はあの明るさ。高度成長期のテレビCMみたいな感覚も感じるけど、好きだな。今道子はビョーキ。凄いと思う。

*3:この人あれじゃないですか、岡崎京子の「リバーズエッジ」仮想ロケハン写真の人じゃないですか! こんなところでお会いするとは…!!

*4:正直言ってHIROMIXはちょっと分からなかったけれど… 何がいいのかな、これは? 日常性?