インターネットと匿名性

21世紀の人間は、19世紀の村人が異人を恐れ、20世紀の国民が外国人を差別したように、「匿名なもの」を社会空間から排除しようと試みる。私たちがいま見ているのは、その入口の光景だ。

…と言うような「先の見通し」というか「ビジョン」を持つことを嗜好するところが東浩紀の好きなところだ。

しかし

批評家の柄谷行人が唱え、かつて思想業界で注目されたテーゼに、「市場は共同体と共同体のあいだに発生する」というものがある。

というのは、カール・ポランニーや栗本慎一郎といった経済人類学方面から出てきた考え方のような気がするけど…

でも、とにかく、

貨幣は本質的に匿名メディアである。現金は、それがだれによっていつどのように獲得されたものなのか、まったく情報を伝えない。だれがくれようが、100万円は100万である。商品の多くも履歴情報をもたない。

と書いて、「貨幣の匿名性」と「インターネットの匿名性」を結びつけてゆく「考え方」…というか「感じ方」は、自分の考え方や感じ方と近いような気がして親しみを感じてしまう…、もっとも勝手で一方的なこちらの思いこみかもしれないのだけれども…

それに、まぁ、「貨幣」と「市場」と「インターネット」を「匿名性」で結びつけるという発想は、80年代の所謂「現代思想」の影響を受けた人間にとってはあまりにも「当然」な考え方なのかも…

http://it.nikkei.co.jp/trend/column/opinion.aspx?i=20050707gc000gc&cp=1
「hazuma」