我々は寄せては返す「波」であるということ

福岡伸一といえばやっぱり『生物と無生物のあいだ』。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

この本で一番驚いたのは我々の身体を構成する物質が絶え間なく急速に入れ替わっているという話だ。
そんなことは当たり前じゃないかという声も聞こえてきそうだが、そこのところを読み違えている人が多いみたいなので、しつこく説明してみる。
注意すべきはこれはエネルギー代謝や新陳代謝のことをいっているのではないということだ。つまり使ってしまったものを外から新たに取り入れて補充したり、古くなってしまったものを新しいものに取り替えたりすることによって生じる物質の入れ替わりのことをいっているのではない。
もちろんそうした代謝によっても物質の入れ替わりは進むが、福岡伸一が強調しているのは、それとは別に我々の身体を構成するタンパク質やDNAも分子や原子のレベルで絶え間なく急速に入れ替わっているというということだ。
代謝の話なら聞いたことはあるが、こんな話は聞いたことがない。少なくとも高校までの生物の教科書には載っていなかった。本当にそんな不思議なことが起きているんですか福岡先生?と眉に唾をつけてみたものの、同位体を使った実験をしてみると、確かにそういう現象が現実として起きているのだという。
例えば脳細胞。脳神経を構成する細胞は成長期を過ぎると分裂も増殖もしない。脳細胞に関しては古い細胞を一生そのまま使わなくてはならない。
が、しかし、その脳細胞が物質として一生そのまま同じモノなのかというと、実は違う。脳細胞を構成する物質も分子や原子レベルで絶え間なく急速に入れ替わっているのだという。時間が経つと物質としては全く別のモノに入れ替わってしまうのだ。
というわけで、今日会った人も何年後かに会えば、物質としては全く別人である。というか、今日の自分はさほど遠くない未来に物質として全く別な自分になってしまう。とするならば、生命あるモノの存在の本質はモノそれ自体にあるのではない。モノが結びつくパターンこそが生命ある者のアイデンティティーなのだ。
それを福岡伸一は「動的均衡」という小難しいことばで表現するのだけれど、それはつまり、我々は「波」のようなものだということなのじゃないかと、自分は思った。
つまりなんといったらいいか、太平洋の向こうのペルーで大地震が起こって津波が日本に押し寄せてくるとする。でも、ペルー沿岸にあった海水が日本まで移動してくるわけではない。「波」と呼ばれる海面の上下運動が順々に伝わって日本までやってくるだけだ。我々もその「波」と同じようなもので、物質という海の中をただ伝播してゆくだけの単なる「パターン」に過ぎないのだ。
そんなふうに考えると、自分というものが本当に存在しているのかどうか、何だか心許なくなってしまう…
科学って何か不思議なことを我々に教えてくれるなぁ…