岡崎京子の変身

栴檀は双葉より芳し」とは言うけれど、岡崎京子ほどその言葉にふさわしくない人はいないのではあるまいかと、しみじみと思うのです。

はっきり言って、出発点において、岡崎京子はたいした作家ではなかった。いかにも小さい。日常の細々したことを気の向くままに書き連ねて行く。絵は稚拙。技術の拙さをセンスだけでごまかしたハッタリ。ただ、そこからにじみ出してくる「肉声」が伝わる人には伝わります。「生々しさ」というのか「生活実感」というのか。いずれにしても手垢にまみれた表現で申し訳ないんだけども、語彙の貧弱な自分にはそうとしか言いようがないものがぐっと胸に迫ってきて、「ああ、そうなんだよ、そうなんだ…」と肯かされてしまう。
しかし、それは「万人の心に訴える深遠なテーマ」を持った作品ではありません。あくまで「個人的嗜好品」に留まる存在。自分は確かに好きだけども、他の人にまで読んでもらいたいとは思わない。自分だけでこっそり読んで、ふんふんと頷き、本棚の片隅にそっとしまっておく…そんな感じです。

それがふと気がついてみると、「時代」とか「社会」という、何かもっと巨大なものに正面から立ち向かう作家にごく自然に変身していたのですから、これは驚きでした。

いったいどうしてこんな変化が起こったのでしょう?
「下北沢」という、世田谷にしては下町っぽいゴチャゴチャした商店街に生まれ育ち、流行の音楽やファッションばかり追いかけていたはずの、ごく普通の女性が、どうして後の「岡崎京子」に変身してしまったのでしょう?

本当はその「どうして?」こそが問われるべき真の問題なのだけど、自分にとっては少々荷が重すぎる課題です。
ここではその真の課題に取り組む為の準備作業として、「どのような経緯を経て」岡崎京子が後の「岡崎京子」に至ったのか、その筋道を、作品を通して概観してみたいと思います。

三つの時代区分

あくまで私見ではありますが、岡崎京子の作家としての経歴は次の三つに区分できるのではないでしょうか?

第一期:
デビュー前後から「pink」直前まで。プロ作家として見た場合は1983年の「漫画ブリッコ」でのデビューから1988年の「ジオラマボーイ パノラマガール」連載終了までの約5年間。いわば身辺雑記的叙情作家時代。

第二期:
1989年の「pink」から1992年の「東京ガールズブラボー」までの約3年間。この時期、岡崎作品の視界は身辺雑記の身近な世界から、より広い「社会」へと広がって行きました。「バブル」という社会の狂騒状態の中でどのように生きて行くのかというテーマが形を成して行きます。
尚、「くちびるから散弾銃」は、第一期から第二期へと移り変わって行く岡崎の変化がリアルタイムで表れた(作品の変遷を考えて行く上での)重要作品です。

第三期:
1993年の「リバーズ・エッジ」連載開始から1996年の事故による休筆までの約3年間。作品の視界がより広く社会へと広がっているという点では基本的に第二期と変わらないのではという見方もあるかもしれませんが、やはり岡崎は「リバーズ・エッジ」を境に、一皮剥けて、それまでとは「格」が違う「大作家」に変身したような気がしてなりません。社会的な背景も「バブル最盛期」の狂騒状態から「バブル破裂」後の「荒廃と閉塞」へと移り変わり、作品の中に伺える社会への視線も変質し始める。

次回は各時代区分について概観してみます。
(なんて書いて続かないのがいつものパターンだけど、今回は続きます! …だといいんだけど…)