鉄腕アトム、或いは破れた夢のかけら(日本アニメ総括1)

1963年から4年間にわたって放映された日本初のテレビ・アニメ・シリーズ。日本アニメの原点。


今年2003年4月7日はアトムの誕生日だということで、テレビで新シリーズが放映されたり、各地で様々なイベントが企画されたりと、お祭り騒ぎが「演出」されているようだ。けれども、自分は、正直言って、この「四十周年」を素直に祝う気にはなれない。なんだかちっともめでたくないような気がするのだ。

もちろん、鉄腕アトムという作品が自分にとっても非常に重要な存在であることを認めるにやぶさかではない。自分一人にとどまらず、団塊の世代からその次の世代あたりまで、少なくとも二世代ぐらいは、この作品に決定的な影響を受けているはずだ。高層ビルが建ち並び、エア・カーが走り回る街の風景。歩き回るロボット。空を見上げれば超音速旅客機やロケットが飛び交う。ああ、これが僕たちを待ち受けている「未来」なのだ。二十一世紀になったら僕たちは本当にこんな世界の中で生活することになるんだ。当時の子供たちはそう信じた。日本人の「テクノロジー」と「未来」に対する基本イメージを決定的に形作ったのは、間違いなく、この「鉄腕アトム」だ。もしアトムがいなかったら、戦後の日本は世界有数のテクノロジー大国になり得たろうか? アトムを通して「テクノロジー」と「未来」に対する「夢と希望」が多くの日本人の心の中に刻みつけられなかったとしたら、高度成長期などあり得たろうか? その意味で、第二次世界大戦後の日本の社会の軌跡に最も大きな影響を与えた日本人は、政治家でもなく、思想家でもなく、マンガ家手塚治虫であるに違いない。だから、1953年生まれの山下達郎も「どんなに 大人になっても 僕等は アトムの子供さ」と歌ったのだ。(山下達郎「アトムの子」


そうして、とうとう二十一世紀を迎えたのだけれど……?
はたして、僕等は、「鉄腕アトム」を通して夢見たような「二十一世紀」に暮らしているだろうか?

結局のところ、「テクノロジー」は期待したほどには「進歩」しなかった。

街を見回しても、もちろん、ロボットは歩いていないし、エア・カーも走り回っていない。高層ビルは、確かに増えてはいるものの、所々に群落を形作っている程度で、街全体に広がっているとは言えず、かつて夢見た「未来都市」の景観からはほど遠い。「未来」の定番であったはずの「宇宙開発」はどうだろう? 人類が初めて月に着陸してから三十四年も経過したというのに、「月面都市」やら「火星の植民都市」はまだ実現していない。人類はせいぜいのところが地球の周囲をぐるぐる回るのが精一杯で、その間にもスペース・シャトルは二機も墜落している。超音速旅客機の方も「空を飛び交う」からはほど遠い。世界初の超音速旅客機コンコルドが就航したのは1976年だが、その後二十七年間、「世界で唯一の超音速旅客機」で有り続けたあげく、今まさに消滅しようとしている。もっと生活の基盤になるような技術に目を向けても、未だに核融合発電が成功していないのには驚く。エニウェトク環礁で水爆が爆発してから既に五十年以上が経過しているのに…。それどころか、核分裂を利用する通常の原子力発電すら、相次ぐ事故や放射性廃棄物処理の問題から行き詰まりをみせ、「廃れゆく技術」と化そうとしているように見える。

ここまでは「テクノロジー」の問題であって、ある意味では世界共通の状況だと言えるのだけど、更に「日本」固有の「社会」や「経済」の状況に目を向けてみると、もっと悲惨な状況が目に飛び込んでくる。バブル破裂以降いつ果てるともしれず続く不況。その原因である金融問題には根本的な解決策が施されないまま問題の先送りだけが繰り替え返されて行く。そうした中で蓄積される社会的疲弊。かつて「平等な社会」実現の原動力となったはずの公的な教育の荒廃。人口の老齢化と社会保障制度の破綻。対外的にも、日本の国際的地位は上昇するどころか、ますます米国への隷属の程度が強まって行くばかり。それと並行して人々の間に醸造されはじめる反米感情は、更に日本の社会を不安定にして行くことだろう。

要するに、「鉄腕アトム」に描かれた「夢のような未来」は、やっぱり「夢」にすぎなかったのだということが、実際に「21世紀」になってみた現在、ますます強く感じられてくるばかりだ。

こんな状況の中で、アトム四十周年を素直に祝う気になれるだろうか?

鉄腕アトム」が「かつて重要だった」ことには疑いの余地はない。その「未来のビジョン」が日本の成長を支えていたことは事実だろう。

しかし、今となっては、「アトムのビジョン」が破綻してしまっていることは否定のしようがない。もはや「明るい未来」が消え去った今、僕たちが、先行きの見えない「不安な明日」を生き抜いて行くためには、別な種類の「新しいビジョン」が必要なことは確かなのだけれど…しかし、それは一体、何なのだろう?…それが見えない限りは、アトムを「懐かしむ」気にすらなれない。