「ASAhIパソコン」休刊

●休刊のお知らせ●
ASAhIパソコンは二月二十八日発売の三月十五日号で休刊させていただきます。今お手にとられている号を含めて、あと三号でひとまず終わりです。

創刊号を買った覚えがあるが、あれはもう十八年も前のことだったのか…
ちょうど初めて個人でパソコンを買った時期と重なっていて、あの頃はパソコンにかける思いも熱かった…(←遠い目)
ASAhIパソコンで特に思い出深いのは1994年4月25日増刊号「computing U.S.A. インターネットの波に乗れ!」。当時米国に出現しつつあったインターネット社会のリアル・タイム・レポートだ。これを読んで「新しい時代」がやって来る「予感」に胸をときめかせた。ネットはやがて、分断されていた少数派の人々を結びつけるだろう、そうすれば真に多様性を許容する活気に満ちた社会が生まれるに違いない…
しかし、ああ、実際にやってきたのはこんな時代かよ!
社会は同好の士だけが寄り集まった小さな村へと分断され、その村と村の間には殆ど行き来がない。結局のところ「大きな一つの社会」は「小さな無数の村」へと解体されてしまったのだ。その「小さな村」の中に閉じこもってしまった人々の「世界」は、むしろ、ネットの登場前よりずっと「狭く」なってしまったように見えるではないか…*1
いったいどこがどう間違っていたのか、そして、これから何をすればいいのか、正直言っていまだによく分からない… 
「世界」はなかなか手強い。

*1:昔日本版「Wired」(今は無きインターネット雑誌)に掲載されたコラム(もしかしたらインタビュー?)で押井守が「予言」したとおりになってしまった… 記憶があまり定かではないが、「攻殻機動隊」のラストの台詞に絡めて、だいたい次のようなことを言っていたと思う。曰く、草薙素子は「ネットは広大だわ」と言ったが本当のことを言うと自分はそうは思わない。ネットを通じて少数派同士が結びつきそこに安定した「村」を作ってしまえば一人一人がますます自分の中に閉じこもってしまって蛸壺みたいな社会が出来るだろう。昔だったら少数派は周りに同類を見つけられないので嫌でも周りに合わせて自分を変えて行かなくてはならなかった。そうでないと生き残ってゆけない。それが社会化を促す原動力になった。しかしネットで同類とすぐつながってしまえるようになれば社会化しなくてはならない理由を失ってしまう。つまりもう「大人」になる必要はなくなってしまうのだ…。−ネットの明るい未来を信じていた自分はこのコトバにどきりとさせられた。既に思い当たるふしがネット社会の中に幾つか見受けられたのだ。押井守は鋭い。鋭すぎる。