辻井喬「父の肖像」

父の肖像

父の肖像

衆議院議長にして西武グループの創設者、堤康二郎といえばろくでもない人間という印象しかない。戦中戦後のどさくさに紛れて困り果てた旧華族から都心の一等地を巻き上げたとか、ありとあらゆる女性に手を出し挙げ句の果てに異腹の兄弟姉妹たちを同居させ家族の心をずたずたにしたとか、暴力行為と詐欺行為を敢えて回避しない荒っぽい商売ぶりで死者を出して、それを政治家としての権力でもみ消したとか、とにかく絵に描いたような「悪党」ぶりだ。

早くからそうした父親に激しく反撥してきた次男の堤清二が「作家 辻井喬」として描く「堤康二郎像」はさぞかし強烈なものだろうと期待していたのだが、その視線は意外と心優しい。幼年期に母や祖父から受けたトラウマに苦しめられ続けた人間だというのだ。いうならば「怪物」を「傷つく」こともある「人間」として描いている。

その試みは成功しているし、ある意味では「真実」なのだろう。しかしそれは「一面の真実」であるに過ぎない。やはり堤康二郎は「傷つく人間」であると同時に「怪物」であったはずだ。その「怪物」である側面を描かない限りは「父の肖像」は完成しない。「堤康二郎」という、ほとんどドストエフスキー的人間の「全体像」には到達できない。「肖像」はまだ未完成のままだ。「作家 辻井喬」は「息子 堤清二」の「肉親の情」の前に敗北してしまったらしい。


むしろ、自分としては、この作品を「日本の肖像」として読むことを薦めたい。
明治末期から昭和中期の高度成長期までの日本の政治と経済の「風景」をこれほど具体的に描き出すことに成功した作品は希であるように思える。「知識」としてしか知らなかった「歴史」が血肉を備えた「人間」の営みとして目の前に再現されてゆく。日本の近現代史に興味を持っている人ほど、この作品の中に色々な「発見」をするのではないかと思う。

自分の場合の例を幾つか挙げておく。

第一に、大隈重信という人間がどのような人間であって、日本の社会とどのような「関係」を結んでいた「存在」なのか、初めて「納得」がいった。話は逸れるが、福沢諭吉なら彼が日本の歴史においてどのような役割を果たしていたのかよく分かるような気がする。要するに彼は欧米から「近代的人間」という「理念」を「輸入」したのだ。それに対して、大隈重信はどんな役割を果たしたのか、その数々の具体的な業績を眺めても、今ひとつピンと来ない。しかし、堤清二はその人となりを、つまり彼がどのようにしゃべり、どのように振る舞ったのかを、そしてその結果として人々にどのような影響を与えていったのかを、さり気なくではあるが、鮮やかに描き出しているように思える。

第二に、日本のアジア侵略は、民衆の熱狂的な支持に支えられたものであったということ。身分的・経済的格差が激しかった時代、植民地とは、国内で下男・下女であった人間が、そこに行けば自らが下男・下女を従える立場になれるかもしれない「希望の地」であったのだ。民衆は軍部や財閥に瞞されて戦争に駆り立てられていったのではない。特に軍部との関係でいえば、民衆が軍部を駆り立てたのだ。堤康二郎を取り巻く故郷の選挙民の空気の中に、それが描き出されている。

第三に、堤康二郎の政治家としての遍歴を追ううちに、日本の議会政治の「変質」過程が見事に浮かび上がってくる。普通選挙制度実現を支持する急進的な理想主義者として出発した「青年」は、やがて、「保守派」へと変わってゆくのだが、本人は自分が「変質」したとは思っていない。それは「日本人」の姿そのものだ。*1

▼参考リンク
著者との60分 『父の肖像』の辻井 喬さん
いつかは書かなければと思った父・堤康次郎のこと
転落「世界一の富豪」 堤容疑者 親族ら確執絶えず

*1:個人的見解を付け加えれば、その「保守化」という名前の「野蛮への退行」は今も進行中だ。