桜庭一樹「赤×ピンク」、或いは桜庭一樹の「秘密」?

赤×ピンク (ファミ通文庫)

赤×ピンク (ファミ通文庫)

変だよね、この話。六本木の裏通りに小学校の廃墟があって、その校庭には八角形の巨大な鉄の檻が据え付けられている。で、この鉄の檻の中では、毎晩、女同士の格闘ショーが催されているわけなんだけど…。プロレスのような見世物ですね。熱狂した観客たちが喚声を上げる中、「14歳」のロリ系少女(実は21歳)や「SMの女王様」や「性同一性障害」女が組んずほぐれつの「大格闘」。物語はこの三人の独白の形で繰り広げられてゆくのだけど、異様。普通の意味では「お話」の体を成していなかったり… イヤ、面白いし、充分衝撃的且つ感動的ではあるんですけどね、ここまでいわゆるライトノベルの「定型」(って何か知らんけど)を外れたものを「ファミ通文庫」という場でやるなんて凄いよ。その大胆さには敬意を表するけれど、普通に考えて、「ファミ通文庫」の「一般的な読者層」がこの一種の小説を理解できるのだろうかと首をかしげてしまう。「ファミ通文庫」という「メディア」では、この「物語」が「届けられるべきところ」へ届かないのではないかと思ってしまうのだが、どうなんだろう? 「性」と「暴力」と「愛」に関するこの物語を、或いは「性的アイデンティティー」というテーマ*1を、普通の「オタク」がしっかり受け止めることが出来るのかなぁ… 要するにこの話に「理解」を示しそうな人たちはもっと別なところにより多くいそうな気がするということなんだけど… たとえば、突飛なところでは石原慎太郎辺りに読ませたら「まだまだ拙いねぇ」とか偉そうに貶しながらも本音ではひどく面白がるんじゃないかという気がする。(或いは同じ「肉体派」であるにもかかわらず非常に「異質」なものを感じてひどく当惑する?)ただしあのイラストは見せない方がいいかも…*2
でも、面白いよね、この話。「推定少女」が桜庭一樹の代表作だろうなどと無責任な憶測を書いてしまったが、前言撤回。桜庭一樹の代表作はこの「赤×ピンク」で決まり。この作品には、社会の既成秩序を揺るがしてゆく「異端」のパワーが、つまり「芸術性」が、ある。この「異端のパワー」をそのまま伸ばしていける場が今現在の日本の出版業界・文芸業界には存在しないんだろうか? 寂しい話だと思う。「赤×ピンク」→「推定少女」「砂糖菓子の銃弾は撃ちぬけない」→「少女には向かない職業」というその後の展開は「マーケティング」的には理解できるものだし、「技術的向上」という点でも目を見張るようなものがあるけれど、同時にそれは「社会的順応」の過程のようにも見える。その過程で、この「赤×ピンク」にあったはずの「牙」というか「毒」は、どこかに用心深く隠されてしまったような気がするのだが…?


話は変わるが、東京の移り変わりは早い。この作品に登場する六本木は六本木ヒルズが出来る前の六本木だ。今は無き六本木WAVEの裏手の崖を降りた辺り一帯の、寂れて謎めいた雰囲気を懐かしく思い出した。あの辺りの街並みを全部なぎ払い、ブルドーザーで平して造成した人工地盤の上に六本木ヒルズが誕生したわけだが、自分はやっぱり六本木ヒルズなんか嫌いだ…と思う。幾らそこに素晴らしい都市模型が展示されていても、或いは屋上から眺める東京の景色が幾ら素晴らしくても、それと引き替えに、失ってしまったものが大きすぎるような気がするから…。今の六本木ヒルズには「闇」がない。「闇」がなかったとしたら、日常の生活から隠されている最も秘密めいて大切なもの、生命が存えてゆく上でかけがえのない「秘密」をどうやって生き延びさせてゆくことが出来るのだろう?

*1:競艇選手の「安藤千夏(安藤大将)」ね。

*2:誤解をまねかないために断っておくが、自分は小説に絵を付けること自体に反対しているのではない。それはケース・バイ・ケースの問題だ。ただ桜庭一樹の場合は通常の「萌え絵」はそぐわないと自分は信じているということ。