Sweet Blue Age

Sweet Blue Age

Sweet Blue Age

写真家蜷川実花の作品をカバーにあしらった「青春小説集」。
有川浩桜庭一樹が収められているので読む気になった。
ニッポンの文学は元気がなくなって久しいという話はよく聞くが、何だ、元気な作家は結構いるじゃないかという印象。結局、わりと面白かった。

角田光代「あの八月の、」
東急東横線反町駅から西北の方向へ坂道を登り続けたところに「捜真女学校」という横浜でも古いプロテスタント系のミッションスクールがあって、彼女はそこの出身と聞いている。この学校はちょっと変わった人が多いみたいで、他にも作家の中村うさぎとか、古いところでは作詞家の阿木燿子なんかが有名どころかな。一番驚いたのがアングラ暗黒舞踏の大家大野一雄で1980年まで体育の先生をしていたという。さすがに授業で暗黒舞踏はやらなかったとは思うが、それにしてもちょっと面白いよな…
…という余計な話はさておき、三〇間近な女が二人連れだって、真夜中、大学の映画同好会の部室に忍び込み、自分たちが昔作った自主制作映画を眺めながら、「昔の男」やサークル内の複雑な男女関係に思いを巡らすという趣向の作品。苦く、切なく、息苦しく、やり切れない思いすらこみ上げてくるところが立派に青春小説。「肉体関係が出来れば恋人になれると思っていた」という一節は「初めて愛し合った人達は朝まで抱き合っているんだと思っていた」という岡崎京子の一節にも通じる。…「出来る作家」と見た。(…というか、過去の受賞歴から見て「出来る作家」であることは周知の事実なんだろうけど。)
有川浩「クジラの彼」
有川浩が「怪獣映画」と「少女マンガ」のハイブリッドであることは広く知られているが、本作はその「少女マンガ」部分。実は例のあの「海の底」の「サイドストーリー」。
「潜水艦乗り」に恋した「乙女」の、この「甘〜い男と女の物語」は、角田光代のあとでは、いかにも「絵空事」と感じられる。しかしその「絵空事」を「絵空事」と承知で身も蓋もなく徹底的にやるのが有川浩の作家としての価値なのだろう。人の精神はそのような「絵空事」を「必須栄養素」として欲している面もなきにしもあらず。だから有川浩は「人気作家」になる可能性があると思うのだけど、さぁ、どうでしょう…
日向蓬「涙の匂い」
思春期の微妙な心のひだを描く切ない少女小説。その繊細な筆致に感心。漢字が読めない継母のために教習所の教科書に一生懸命ルビを振る男の子(片思いの相手)の姿を見て「嫉妬」を掻き立てられる主人公を凄いと思った。 (2006.09.24追記→…とはいうものの、こういうのは「女」を売り物にする「女流文学」の「伝統芸」に過ぎないのかも。佐藤亜紀辺りだったら鼻でせせら笑うかも。)
三羽省吾ニートニートニート
二年で会社を辞めた青年がニートやヒッキーと一緒に「青春の暴走の旅」へ…にしては枚数が少なすぎるんじゃないかと危ぶんだら、最後の一行で「ショートショート」のオチが付いた。ちょっと大味。
坂木司著「ホテルジューシー」
バイトに出かけた沖縄の小さなホテルで「パラダイス」を見つけた、という「お話」。よく書けているとは思うけれど「緩い」。その点において、この人は有川浩を見習うべきではないかと思った。
桜庭一樹「辻斬りのように」
「辻斬りをするように男遊びをしたい」という出だしに、何だか作者の「無理」のようなものを感じてしまった。しかし、作家が、自分でもよく描ききれないものを力尽くで「無理」に描くことによって「理解の領域」を広げてゆこうとすること自体はべつに非難すべきことでもない。「無理」を重ねてたどり着いた結末には小さな「跳躍」が待ちかまえていて、「少女マンガ的余韻」がそこはかとなく漂っていた。「成功作」ではないが「意欲作」ではあると思う。
森見登美彦夜は短し歩けよ乙女
酔っぱらい女が夜の京都の木屋町先斗町界隈を徘徊するという話。それまで続いてきた作品とあまりにも「質」が違いすぎ、一冊の短編集としての統一感をぶち壊してしまうのだけれど、実は、巻末にトリとして置きたくなるのもむべなるかなという、猥雑で力強く魅力的な幻想譚。それが現実の木屋町ではないと知っていても、実際に京都に足を運んで夜の木屋町を彷徨ってみたくなる。