森見登美彦「太陽の塔」「四畳半神話体系」

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

四畳半神話大系

四畳半神話大系

Sweet Blue AgeSweet Blue Ageに収録されていた「夜は短し歩けよ乙女」が面白かったので同じ作者の第一長編と第二長編を読んでみた。どちらも面白かったのだが、「これは面白い」と手放しで礼賛できるような代物ではない。あまりにもクセが強すぎて、おそらく十人中七八人がこんなの読んでられないと放り出すだろう。なれると美味しい「くさや」の干物みたいなものだ。どす黒いアク汁で煮染めたようなコテコテの文体で描き出された京都の貧乏学生生活からは腐った雑巾の臭いが漂ってくる。であるにもかかわらず、所々で、一瞬にして空気が澄み渡り、瑞々しいポエジーがほとばしるのだ。そんなとき、この作品が紛れもないファンタジーであることを思い知らされる。
どうして今の時代にこんな作品が生まれてきたのか、理解できない。1960年代に全盛期を迎えた「四畳半」は1970年代に根絶されたのだとばっかり思っていたが、時代が一巡りし、復活したらしい。考えてみれば思い当たる節もある。街行く若年層の服装だ。1970年代から80年代にかけて年を追うに従って小ぎれいでかわいらしくなっていった若者の服装が、90年代のあるときを境に、また薄汚く貧乏くさい感覚へと回帰していったのだ。まるで60年代の復活だ。しかし60年代のような社会意識や政治意識の高まりはなく、一人一人が自分たちの身の回りの小さな世界に閉じこもっている。森見登美彦の描く世界もそうした自閉した小さな世界の一つなのであり、彼らには「ここ」と「今この時」しかない。そんな彼らを、70年代の幕開けの象徴とも言うべき岡本太郎の「太陽の塔」が見下ろし、そして何故か、彼らもまた憧れのまなざしで「太陽の塔」を見上げる。彼らは「太陽の塔」に何を見ているのだろう? この謎めいた関係の中にどのような「意味」を見いだすべきであるのか、自分には分からない。