菅生沼サイクリング
- 菅生沼
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天気が好いので世田谷から茨城県の菅生沼まで自転車で走った。片道およそ70キロの道程。
菅生沼というのは茨城県坂東市と常総市の間に広がる広大な湿地帯。鉄道の通っていない交通の便の悪い地域なので昔ながらの湿地帯の自然環境が比較的そのままの形で残っている数少ない場所の一つなのだとか。詳細→菅生沼@wikipedia - 埼玉県県民健康福祉村
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途中で出くわした感じのいい池。東川口辺り。 - 経路図
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より大きな地図で 20100603菅生沼 を表示
例によって例のごとくGPS頼りで行き当たりばったりに走ったらいつの間にか交通量の多い広い道に出てしまった。こういう道は目的地に向かって最短距離でまっすぐに通じているので便利には便利なのだが、例によって例のごとく車が多くて落ち着かないし、何と言っても走っていて「味わい」に乏しい。やはり細い裏道をのんびり走る方が性に合っている。
事前に経路を決めておくべきだったと反省。
帰りは例によって例のごとく自転車をたたんで、最寄りの東武野田線愛宕駅から電車に乗って帰ってきた。
我々は寄せては返す「波」であるということ
福岡伸一といえばやっぱり『生物と無生物のあいだ』。
- 作者: 福岡伸一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/05/18
- メディア: 新書
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この本で一番驚いたのは我々の身体を構成する物質が絶え間なく急速に入れ替わっているという話だ。
そんなことは当たり前じゃないかという声も聞こえてきそうだが、そこのところを読み違えている人が多いみたいなので、しつこく説明してみる。
注意すべきはこれはエネルギー代謝や新陳代謝のことをいっているのではないということだ。つまり使ってしまったものを外から新たに取り入れて補充したり、古くなってしまったものを新しいものに取り替えたりすることによって生じる物質の入れ替わりのことをいっているのではない。
もちろんそうした代謝によっても物質の入れ替わりは進むが、福岡伸一が強調しているのは、それとは別に我々の身体を構成するタンパク質やDNAも分子や原子のレベルで絶え間なく急速に入れ替わっているというということだ。
代謝の話なら聞いたことはあるが、こんな話は聞いたことがない。少なくとも高校までの生物の教科書には載っていなかった。本当にそんな不思議なことが起きているんですか福岡先生?と眉に唾をつけてみたものの、同位体を使った実験をしてみると、確かにそういう現象が現実として起きているのだという。
例えば脳細胞。脳神経を構成する細胞は成長期を過ぎると分裂も増殖もしない。脳細胞に関しては古い細胞を一生そのまま使わなくてはならない。
が、しかし、その脳細胞が物質として一生そのまま同じモノなのかというと、実は違う。脳細胞を構成する物質も分子や原子レベルで絶え間なく急速に入れ替わっているのだという。時間が経つと物質としては全く別のモノに入れ替わってしまうのだ。
というわけで、今日会った人も何年後かに会えば、物質としては全く別人である。というか、今日の自分はさほど遠くない未来に物質として全く別な自分になってしまう。とするならば、生命あるモノの存在の本質はモノそれ自体にあるのではない。モノが結びつくパターンこそが生命ある者のアイデンティティーなのだ。
それを福岡伸一は「動的均衡」という小難しいことばで表現するのだけれど、それはつまり、我々は「波」のようなものだということなのじゃないかと、自分は思った。
つまりなんといったらいいか、太平洋の向こうのペルーで大地震が起こって津波が日本に押し寄せてくるとする。でも、ペルー沿岸にあった海水が日本まで移動してくるわけではない。「波」と呼ばれる海面の上下運動が順々に伝わって日本までやってくるだけだ。我々もその「波」と同じようなもので、物質という海の中をただ伝播してゆくだけの単なる「パターン」に過ぎないのだ。
そんなふうに考えると、自分というものが本当に存在しているのかどうか、何だか心許なくなってしまう…
科学って何か不思議なことを我々に教えてくれるなぁ…
ウィルスの由来
ウィルスは生物とも無生物ともつかぬ面妖なもので原理的には「物」から「生きたウィルス」を合成することが可能であるという話は知っていた。
これだけでも十分驚くような話だが、更に、ウィルスそのものが高等生物のDNAに由来する、いわば生物のかけらであるという話を偶々目にしたのでメモしておく。
生物が細胞分裂する際、DNAも正確に2倍量コピーされて分かれるが、そこでは常に少しずつのDNA断片をつくり、つなげていくという作業が行なわれている。その過程は不安定で、DNAの一部がくるっとまとまって、どこかにひゅるひゅると行ってしまうことは、よくあることだ。その場合、DNAの一部は、体液に紛れ込み、唾液や呼気、尿、糞などとともに排泄されていく。
こうして、さまよえる遺伝子となったウイルスは常に我々の元に戻りたがる。
つまり、細胞の増殖過程で起こるエラーから生じた出来損ないの滓がウィスルの正体だというのだ。
これまた驚くべき話で、正直言って俄には信じがたい。
大元のソースは生物学者の福岡伸一らしいが、これは本当に定説として一般に認められているのだろうか?
雑感というか近況というか…
義理の母が、今月、急に亡くなった。
突然意識が混濁して救急車で病院に運ばれたのが11日。自分の目の前で息をひきとったのが17日。
あまりのあっけなさに今でもまだ起きたことが信じられない。
そんなこんなで3月は呆然としているうちに過ぎ去った。
このままではエントリーが全くないままで3月が終わってしまうので、こうやって書き始めたのだが、、、
、、、結局、何を書く気にもなれない。
書くことがないわけではないのだが、何を書いても白々しいような気がしてしまうのだ。
と言うわけで、3月における単なる存在証明として、このエントリーをアップしてお終いにしておく。
以上。