村上世彰逮捕

テレビや新聞の報道(の多数派の論調)を額面通に受け取る気にはなれない。
↓こんなことがあっても不思議はないと感じる。

村上ファンドは特捜にハメられた?



↓こんなふうに検察は本格的な市場経済化のための地ならしをしているのだと解釈する人もいる。本当にそうであるなら、まだ我々の明日にも希望が持てるはずだ。が、しかし、そんなことはあるまいと自分は感じてしまう。検察官が「市場経済」だの「西欧的近代市民社会」の「理念」だのを理解しているとは思えない。検察官に限らずニッポンの官僚たちは常に市民社会以前の伝統的共同体を志向している。つまり彼らは「経済を社会に埋め込むこと」(©カール・ポランニー@「経済と文明 (ちくま学芸文庫)」「人間の経済 I 市場社会の虚構性 (岩波モダンクラシックス)」「大転換―市場社会の形成と崩壊」etc.)を志向するのだ。その意味では、彼らこそが真の「共同体主義者(コミュニスト)」である。*1

一度は大きな刑事事件が起こることによって、合法・非合法のボーダーラインがはっきりし、普通の取引として企業買収が行われるようになるのだろう。その意味では、村上氏には気の毒だが、今回の事件は日本の資本市場が成熟するための「通過儀礼」なのかもしれない。

*1:コミュニズム」もまた一つの思想だろう。しかし「原始共同体」的社会や「旧ソ連」が次々と敗北していった「歴史」のことを考えるのなら、肉食獣的な「市場経済」に対して「コミュニズム」は「有効」であるといえるだろうか? 我々は好むと好まざるとにかかわらず「米国」と共に生きて行かなくてはならない。