ギブスン、岡崎京子、そして田口犬男?

ネット漂流中に偶然見付けた岡崎京子ウィリアム・ギブスンの話題。(本当は田口犬男という詩人の話なんですけど…)

(引用者注:前段省略)


岡崎京子って漫画家がおりまして。
結構わたしすきなんですけれども。
このかた交通事故でいま闘病なさってて、お元気なころに書かれたマンガがもう10年ぐらい前のやつなんですね。
それでも、けっこういろんなところに影響与えた作品をおかきになったかたなんです。
そのかたが、事故の直前に描くかもしれなかった雑誌が「COMIC CUE」(1995、イースト・プレス)というのの3号なんですね。
この雑誌江口寿史さんが責任編集してて。
すごくまじめに編集長してて、それは巻末の編集日記でわかるんですけれど、
そこに岡崎京子さんが出てくるんです。「COMIC CUE vol.3」(1997、イースト・プレス)に。
原稿を江口編集長が依頼しに行くんですね。

  5月14日(火)
   (中略)3時、原宿で岡崎京子とうちあわせ。岡崎さんとは親しい訳じゃないが、この13年程の間に、いろんな機会に顔を合わせている。で、会うたびにこの人、なんつうか凄味を増してるんだ。
 最近の岡崎京子の作品は、もうあれは、漫画じゃないと思う。岡崎京子自身ももう、漫画家というよりも、文学や映画と同じ次元の表現者といった風情だ。会うたびにその印象を強くしている。CUEの読者アンケートでも次に描いて欲しい漫画家の筆頭に、その名が挙がる岡崎京子だ。で、今回のお誘いになった訳だが、「今、エロスには全然興味がない」ので自分の中からは今回の趣旨にあうような作品は出てこないだろうと言い、この本を原作とした形ならばやれるかもしれない、と数冊の詩集を出した。東大の先生でもある詩人の松浦寿輝という人の詩集だった。
 あくまでも松浦氏の承諾が得られれば、という条件つきだが、執筆をOKしてくれた。
   しかし、今日の岡崎京子、ちょっと疲れてたように見えたのは気のせいか?

  5月20日(月)
   午後4時30分。角川書店の荻野氏より電話。岡崎京子が交通事故に遭い重体。それもかなり予断を許さない状態らしい、とのこと。信じられない。6日前にあったばかりなのでショック。
(「江口寿史の編集長日記 1996」より)

 というわけで、事故に遭う直前岡崎京子さんは松浦寿輝の詩集を原作に漫画を書く予定だった訳です。
できうるならば読みたかったという思い。
と、同時に、なぜこのころ岡崎京子さんは「現代詩」にアンテナをのばしていたのか?という疑問が生じます。
 …ちょっとここらへんから現在の詩の状況に論を進めていきたい。
(遠回りですみませんねえ、どうも)

 岡崎京子さんの代表作に『リバーズ・エッジ』というのがあります。この漫画の佳境でとつじょ見開き二ページが暗転し、ベタの中に白抜き文字で詩が引用されます。
ウィリアム・ギブスンの「THE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS) 愛する人(みっつの頭のための声)」(黒丸尚 訳)という詩です。


(引用者注:ここはギブソンの詩の引用、省略)


なぜ岡崎京子さんはこの詩を作品の中に引用したのか?
おそらくは現代の子供たちが生きている環境を、この詩が「平坦な戦場」としてうまく言い当てていると思ったからでしょう。
(『リバーズ・エッジ』という作品は、当時の子供たちや、子供の変容に敏感だった大人たちに熱狂的に迎えられた作品でした。)

…「平坦な戦場」とはなにか?
…われわれは、ギブスン=岡崎の指摘どおり、「戦場にいる感覚」を抱いて毎日を生活しています。平和な社会に暮らしているというのに。なぜでしょう?
…この「在戦場感覚」は、たとえば、受験勉強や、同僚との競争や、パートの職場で売り上げが伸びないこと…などから生じているのかもしれません。
資本主義社会に生きる現代人の宿痾みたいなものです。
ただ、この感覚が、妙にいらだたしい、われわれを無駄に焦らせる感覚と結びついているように思えるのはなぜでしょう。
この競争のむこうに、理想的な結果があるとは思えない。
なにもかもが最後には報われず無駄になってしまうのではないか?
つまり未来が信じられぬままに、われわれは走らされている。

この虚無感がわれわれの競争意識の裏にべったりと張り付いているので、現代のわれわれの社会感覚ははなはだ無力感に彩られている。
この結果、現代人は現代の資本主義社会の行く末がよろこばしい起伏に満ちた幸いの国に結びついているとは期待していない。
つめたく、のっぺりとした、官僚的無表情が支配する土地…それこそが「平坦な戦場」の正体なのではないでしょうか。
われわれはこの社会の板子一枚下がぽっかりとした虚無に直結していることを知っているはずです。

われわれが相変わらず詩人に期待しているのは以上の点なのではないでしょうか?
われわれはいまどんな戦場におり、なぜ闘わなければならないのか。
そして、どうすれば「生き延びる」ことが可能なのか…
この、目に見えがたい、「平坦な戦場」でのサバイバルを励ましてくれる詩を、
われわれは本当は待ちわびているはずなのです…

このことを、田口犬男は知悉しているものと思われる(唐突ですが)。

(引用者注:以下、田口犬男論に続くが省略。でも、ここまでの岡崎京子の話の方が長かったりして…)

読んでみようかな、田口犬男


《追記》
上記リンク先で言及されている「朝の議論」、ネット上にありました:
http://kyoto.cool.ne.jp/esu/o.pj-hassya2.htm


《更に追記》
その他の田口犬男サンプル:
http://www.poetry.ne.jp/zamboa/vol_8..html

この詩人、自分的にかなり好みだったりして…

(2006.08.18加筆訂正)