宮台真司による検察擁護論?

あのライブドア事件、どう見たって検察の動きは「due process」を踏みにじる、要するに「違法」なものでしたよね。私なんか見てて悪寒がしましたよ。
で、ネットを彷徨っていたら、あのときはああするしかなかったじゃないかと、社会学者の宮台真司先生が検察を擁護するようなことを言っているのを見つけてしまいました。

マックス・ウェーバーは市民倫理と政治倫理を区別し、法律を守ることは市民倫理だが、法律を守ることに意味があるような社会を守るべく時に応じて脱法するのが結果責任としての政治倫理だとしました。

(中略)

限界状況下での政治の超法規性を肯定するこうした議論が公安思想のベースです。

(中略)

警察が市民に近い視座から法の下の平等を踏まえて捜査をし、検察は統治に寄った視座から社会存続に必要なことをやる。そうした役割分担の思想で特捜を正当化できます。

えっ、検察にそんな特権を認めていいんですか?
理論そのものは正しいとしても、その理論は検察に当て嵌めてもいいんですか?
検察の仕事ってそんなことでしたっけ?
それ以前に、検察ってそんなことを任せてもいいほど信頼できる組織でしたっけ?
検察の調査活動費横領を内部告発したあの三井環公安部長が逮捕された事件はどうなってるんでしょう?

法的正義の視座から言えば、検察が組織温存のために恣意的捜査をするのは許されません。他方、社会存続を図る統治の視座からすると、レジームチェンジの狭間にあって従来的ムラ社会の大ボスを退場させて新たなステージの幕開けを宣言しようとする検察が権威を失うのは問題です。

だから、検察にそんな権威を持たせようというのがそもそもおかしいじゃありませんか… だいたいそんなこと、検察の仕事じゃないでしょう?
耐え難いほどイージーで粗暴な議論。
これが自ら「近代主義者」を自称していた宮台先生の言うことかと呆れていると、最後の方になって…

とはいえ、彼らの良心だけを頼るようでは近代社会とは言えません。社会が上手く回ることを制度の中で担保しなければいけません。「制度が出鱈目でも人がちゃんとしていればいい」では、人がちゃんとしていなかった場合、メチャクチャになるからです。

あれっ?
だったら最初からそう言えよ、何が言いたいんだか、分かんなくなるじゃないか!
宮台先生が何でこんな持って回った言い方をしなければならないのか良く分からない。
「お前がそんなタマかよ、松尾検事総長! 思い上がんじゃねぇ!!」ぐらい言ってやったっていいんじゃないかと思うんだけどなぁ…