『東京から考える』

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京の郊外では「ディズニーランド的なもの」と「国道16号的なもの」がせめぎあっている。やがては「国道16号的なもの」がすべてを覆い尽くし、我々はそこで東浩紀いうところの「動物」として生きることになるだろう。「もともと我々は動物なんだからそれでいいじゃないか」と東浩紀はいささか挑発的に居直るが、それに対して北田暁大はちょっと待てと押しとどめる。北田暁大って真面目なヒトだなぁと思う。でも彼が主張するのが下北沢の再開発反対では、ちょっとなんかなぁ…
ここでいう「ディズニーランド的なもの」とはいわゆる「テーマパーク的なもの」一般を指している。東京の郊外に広がる新興住宅地も人々がホームドラマ的な「物語」を夢見ながら暮らす「ディズニーランド」に他ならないと東浩紀は指摘する。*1テーマパークに集う人々は現実の生を生きていない。「物語」を、それも多くの場合は他人から与えられた「物語」を演じているに過ぎない。それは「生活」ではなく「生活のシミュレーション」だ。
「ディズニーランド的なもの」の虚構性を激しく憎悪する自分としては東浩紀の肩を持ちたくなる。いささか彼の言い分が極端に走った観念論の臭いがしていても…
レンタルビデオ屋とコンビニとショッピングモールが延々と建ち並ぶ「国道16号的な光景」とは岡崎京子が見つけ出した「平坦な戦場」と同じものなのではないかと自分は思う。つまり、何というか、市場経済に「差異」を(つまり「意味」を)収奪されたあとの荒野だ。
そんな世界でも我々は生きていけるのだという「希望」を描いた作品が『リバーズ・エッジ』という作品なのだと自分は理解しているのだが、あの作品の中に生きる人々が東浩紀言うところの「動物」なのかどうかは正直言ってよく分からない。
もっとも、こんな「読み方」もいわゆる「誤読」、というか単なる「思い込み」なのかもしれないけれど…

*1:彼にいわせれば荻窪辺りの中央線沿線もサブカル・テーマパークということになるのだが、これには笑ってしまった。座布団十枚!