古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」(古橋秀之全単行本読破計画)

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

「子供向け」の媒体に軽く書き流した体を装いながら、実はディープな連作短編集。個々の作品のストーリーや設定に表面的なつながりはないが、実は「時間」という共通テーマで密接に結びついている。「あとがき」で示されている「図」を見れば作者の意図は明白。「小説」というものが「音楽」と同じ「時間芸術」であることを古橋秀之はしっかり意識してる。やっぱりこの人は「見せかけ」よりも「深い」んじゃないかと思う。

以下、ネタバレを含む感想等。

ある日、爆弾がおちてきて
二浪目の夏、予備校の授業をサボって空を眺めていると、昔好きだった女の子が爆弾になって降ってきて、「世界」を道連れに「心中」しましょうと迫ってくるという超絶技巧を凝らした逸品。「ニトログリセリン」に込められた二重三重のメタファーの使い方が巧すぎる。「爆薬」であると同時に「心臓病の薬」であり、そして口に含むと「甘い」のだ…「ケイオス・ヘキサ三部作」*1でもそうだったように、「死」と「エロティズム」の香りが濃厚。好き。
おおきくなあれ
流行の「阿呆風邪」でどんどん記憶が退行してゆくガールフレンド。記憶が退行してゆくたびにどんどん「幼女」化してゆくという「危ない」展開。本当に作者は悪趣味で悪者。結局、冴えたショートショートに着地して安堵。
恋する死者の夜
死んだ恋人が毎晩訪ねて来て遊園地へ連れて行けとせがむという、これまた「濃い」作品。実は世界全体が「死」に浸食されつつある。夜になると「死者」が「ゾンビ」となって甦り、自分たちが「死者」であることに気づかぬままに「日常生活」を営み始める。「社会の中で、死人の占める割合がじりじり上がっていき、今や僕らは、死人の運転する電車に乗り、死人の開く店に入り、死人の提供する食事によって生きている」。
個人的にはこの作品と表題作が特に好き。
トトカミじゃ
図書室に宿る「神様」。外見は「童女」。「またロリコンかよ」とその露悪趣味に少々ウンザリしていたら、実はこれも「死」の臭いの強い話だったりするから古橋秀之は油断できない。
出席番号0番
クラスの「共同無意識」が一個の「憑依人格」を形成し、それがクラスのメンバーに順番に憑依してゆくというぶっ飛んだ設定に唖然。
三時間目のまどか
授業中に外をぼんやりと眺めていると教室の窓に「別な時間」に属するもう一つの教室が映っているという、本来ならわかりにくいはずの状況をすんなりと分からせてしまう語り口の巧さに感嘆。
むかし、爆弾がおちてきて
巻頭に置かれた表題作のタイトルと対を成すタイトルの作品を巻末に置くという凝った構成。中身は日本の時間SFの古典的名作、梶尾慎治「美亜に贈る真珠」美亜へ贈る真珠―梶尾真治短篇傑作選 ロマンチック篇 (ハヤカワ文庫JA)古橋秀之流リライト*2、と言ってもよっぽど年寄りのSFオタクじゃないと分からないよな…。あのウジウジとしたネクラの梶尾作品の展開に反旗を翻すようなラスト。このポジティブな展開は青少年の物語としてはそうあるべきなのかもしれないけど、自分は梶尾慎治のネクラの方が好きだったりして。
「爆心地」に築かれた平和記念公園の真ん中に「時間が停止した一角」があって、そこに閉じこめられた少女が空を見上げながら「永遠」に佇んでいるという「イメージ」は戦慄を覚えるほど美しい。正確に言うと時間は「停止」しているわけではなく、「永遠」に佇んでいるわけでもないのだけど。

古橋秀之は、長編だけでなく、短編もいけるんだぁ…
「巧さ」に感心すると言うよりも、ほとんど感銘を受けてしまった。だって、叙情的で甘美。しかも、その甘美な叙情性にあんまり素直に「感動」したりすると、実はそれが一部では有名な「エロゲー」の「引用」だったりするという「邪悪」な「仕掛け」がしてあるから、危ない。*3
一筋縄ではいかないほど「屈折」した人だよな…


今のところの代表作といえる「ケイオス・ヘキサ三部作」と並べても決して見劣りはしないできばえだと思う。
「ケイオス・ヘキサ三部作」を読み終わったら次はこれに進むのがお薦めコース。


≪追記≫
参考リンク
2chライトノベル板大賞2005 下半期(2006.03.13追記)

*1:ブラックロッド (電撃文庫)」「ブラッドジャケット (電撃文庫 (0176))」「ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

*2:そういえば「恋する死者の夜」も梶尾慎治の「黄泉がえり黄泉がえり (新潮文庫)

*3:と、訳知り顔に書いてみせたが、実は他所様のページを読んで初めて知って「古橋に嵌められた!」と気付いた次第。たとえば「恋する死者の夜」の設定や「おおきくなあれ」のネーミング等。参考リンク→酔狂ブログ