西島大介「凹村戦争」と「リバーズ・エッジ」

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

近著「土曜日の実験室―詩と批評とあと何か (Infas books)土曜日の実験室―詩と批評とあと何か (Infas books)に収められたインタビューによれば西島大介の単行本第一作「凹村戦争」は岡崎京子の強い影響を受けているとのこと。
本人は次のように語っている。

 −引用の話に戻りますが、「凹村戦争」には、岡崎京子からの影響が強いですよね。当時岡崎京子自身もほとんど引用のみで漫画を組み立てていた。とするならば西島さんの作品は、引用のさらなる引用になってきますが。
岡崎京子はやっぱり好きなんですね。岡崎京子みたいなやり方は、確かに今はもう誰もやっていないな、と思ってて。特に「凹村戦争」のようなSFの場においては、岡崎京子的なものをやることが有効だなと思っていました。そういうの全然ないので。

 −具体的に、岡崎京子的なものとは?
「批評性」と「現代性」に行きついちゃうんでしょうか? ただ、世代が違うので、引用先が明らかに違うじゃないですか。僕はもっと劣化してて酷いものからパクッてる自覚があります。岡崎京子氏は言わないですよ、エヴァ以降とか、セカイ系がどうとか絶対。「凹村戦争」が出たときに、「岡崎京子岡田斗司夫を繋ぐ橋」って書かれたりしてました*1けど、なるほどと思いました(笑)。あと絵ですね。あの絵でそれまでと違う漫画文法を作ったこと。これは想像ですけど、岡崎京子は普通の少女漫画の絵が描けないっていう時点で、自分の絵柄と自分の絵柄で語れる物語に関して自覚的にならざるを得なかったと思うんですね。最初はイラストコラムみたいなの描いていたし、あの絵でしか語れない物語とかを探っていきながら「リバーズ・エッジ」に到達したと思うんです。僕も漫画的じゃないって意味で絵による制約が大きいので、ぶち当たった問題が結構近いかな、と思いますね、って勝手に言ってますけど(笑い)。

いやほんと、どうでもいいんです実際 「物語る絵画」について

凹村戦争」は出た直後に読んだが、個人的にはこれが「オカザキ系」だとは夢にも思わなかったので意外。いったい何処をどう読めばそんなふうに読めるのだろうと不思議に思ってネット上の評判を検索してみたら、こんなことを書いている人もいた。

 あと、先行する/周辺の、諸作品、というか、サンプリングのネタとやり方も込み入っていた。 込み入ったように読んでいるだけかもしれないけどな。 読んでいる間ずっ〜っと、「岡崎京子のマンガみたい」って思ってたよ。 もっと言うと『リバーズエッジ』を読み返している気分になった。

 背景/風景の描き方、トーンを使った陰影の付け方、オブジェクト(マンガに登場するすべてのヒト、モノたち)に対するテケトーでキッチュな描線とか、岡崎京子を連想させる絵の近似もあるんだけど、それだけじゃなくて、黒地に白抜きでキめられる詩とか、あとがきとか、ページを開いてみたときの「白」と「黒」の割合とか。 目が感じる印象がまったく一緒で、これが意識的でないわけがない。 これがあれか? サンプリングか?

やっぱり「分かる人には分かる」ということか?

*1:「クイック・ジャパン」vol.54の連載コラム「マンガを噛め」で足立守正が「岡田斗司夫岡崎京子、二つの岡を渡す橋」と紹介した由。ソース:http://www.simasima.jp/diary/0405.html(引用者注)