再開発で下北沢は死ぬ、多分…


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小田急線の地下化に伴って現在下北沢では再開発事業が進んでいるが、それによって街がどのように姿を変えようとしているのか具体的に思い描ける人はあまりいないだろうと思う。何を隠そう、自分もそうだった。
ところが、最近、インターネット漂流中に世田谷区のホームページで「都市計画図」というのを見て、その具体的な姿を初めて知り、青ざめるはめになった。冒頭の地図を見て欲しい。青く塗った部分が既存の街並みを潰して新設される道路だ。幅26メートルの広い道路(環七と同じ)が駅前まで入り込み、ロータリーが生まれ、そこにバスが発着するようになる。
結論から言えば、再開発で下北沢は死ぬ、多分…
以下、その理由を説明してみたい。


まず、下北沢という街の構造について独断と偏見に基づいた総括。
小田急本線と京王井の頭線が×の字型に交差する地点に生まれた街で、街全体がこの交差する線路によって東西南北の四つの部分に分割されている。
一番賑やかなのが南。商店や飲食店が密集した活気にあふれる商店街で経済的にもおそらく一番重要な地域だが、それだけでは下北沢という街に個性を与えることは出来ない。この部分だけではどこにでもある賑やかな駅前商店街に過ぎないのだ。
街に個性を与えるきっかけとなったのは東地域にある本多劇場だ。ここが中心となって下北沢は小劇場の街としての個性を形成し、やがて何というか「アートなオーラ」(←スミマセン、身も蓋もない恥ずかしい表現しか思いつかなくて)をまとい始める。それに寄生するかのように大手の雑貨店(ヴィレッジヴァンガード)や中古レコード店(ディスク・ユニオン)等も店を構えている。
そのベースの上に花咲き始めたのが北地域。小洒落たカフェや個性的な服屋・古着屋・雑貨屋・中古レコード屋等々が散在する小道が網の目のように広がる迷路。個々の商店は小規模で古い商店や民家を改造したチープな店構えのものが多い。それだけに品揃えやサービスに個人の趣味が反映された手作り感が漂う。そうした小さな個人商店が住宅街とも商店街ともつかない曖昧な街並みの中にパラパラと広がっている。
個人的にはこの北地域が下北沢の中でもっとも下北沢らしくもっとも魅力に富んだ場所だと思っている。個人商店が軒並み打撃を受けて大手のチェーン店が幅をきかせ全国一律に同じ商品が並ぶショッピングモール全盛のこの時代に、おそらく誰が計画したわけでもなく、自然発生的に個人商店が芽吹き繁殖し始めているこの下北沢の北部という地域は、大げさなことを言えば、その存在自体が「奇跡」であるように思えてくるのだ。


ところが再開発計画はこのもっとも繊細で魅力に富んだ下北沢北部の「生態系」を直撃し粉砕しようとしているではないか…
冒頭の地図をもう一度見て欲しい。
現在の歩行者しか通れない網の目のような小道を整理して自動車の入れる道路を街の中心部たる駅前まで導き入れることが今回の再開発の目的であることは明らかだ。
しかし、その自動車用の道路を造るために、下北沢北部の既存の商店街が潰されようとしている。
例えば地図上で赤く塗った東西に走る道。下北沢の中で自分が一番気に入っている道だ。例によって車が殆ど入れない細い道だが、東から西へと歩くと見事な変化を見せる。東の端は混沌とした駅前商店街の空気をそのまま受け継いでいる。これが西に行くにつれて商店の密度が低くなりそれと共に洒落た感じの店の比率が上がり始め、やがて住宅街に溶け込んで消えてゆく。これ一本で下北沢の北部全体の構造を体現している。こんな道は作ろうとして作れるものではない。その素晴らしい道が再開発の名の下に幅26メートルの自動車道路によって真ん中から分断されている。建ち並ぶ商店のスペクトラム的な変化が断ち切られるだけではない。物理的に断ち切られることによっておそらくこの商店街は商店街として機能しなくなるだろう。
これと同じような道が北側に並行して走っている(水色に塗られた道)が、こちらは分断されないものの、幅26メートルの自動車道によって駅前からの導線を絶たれ衰退に向かうことは必然と思われる。
黄色で示した南北に走る道も同じような商店街なのだが、これも途中で断ち切られることによって同じような運命を辿るものと予想される。この道で気に入っているのは赤いピンマークで示した東洋百貨。パンクでキッチュな趣味に走った怪しげなアクセサリー店や雑貨屋や衣料店が集結したショッピングモール、というより「闇市」。かつて900円で中古のブーツ(←娘が学園祭の劇で舞台衣装として使った)を買ったことがある。素晴らしいではないか。この東洋百貨も開発が進めば第二ロータリーに面する一等地となるので、こんなアングラな闇市が生き延びられるとは思えない。
闇市と言えば下北沢駅北口の真ん前にあった戦後闇市の名残(地図上黄色のピンマーク)も今回の再開発で見事に撤去されることになる。闇市の名残が消えてゆくのは、新しく自然発生した他の商店街が破壊されるのとは違い、時の趨勢でしかたのないことなのかもしれない。しかし、引っ越してきたばかりの頃、朝からここの屋台で酒を飲んでいる一団を見かけて、清々しい自由を感じたという私的な思い出があるだけに、個人的には残念でしかたがない。*1


長々と書いてきたのでだんだん飽きてきた。
そろそろまとめに移る。

  • 繰り返しになるが、今回の開発の狙いが車の入れる道路を駅前まで伸ばすことにあることは明白だが、これは下北沢の自己否定に他ならない。
  • 下北沢という街の魅力は迷路のように入り組んだ小道を歩き回って思わぬ発見をすることにある。徒歩で歩き回れる空間が広がっていることが下北沢という街の魅力なのだ。
  • 従って下北沢に車は必要ない。むしろ下北沢という街の魅力はその空間から自動車を排除することによって強化される類のもである。
  • 道路を自動車向きに整備することによって自動車を街の中心部まで導き入れようとすることはその意味で下北沢という街の本質に反しその魅力を損なう行為である。

以上に於いて「下北沢」というのは正確に言うならば「下北沢北部」を意味しているが、自分にとって「下北沢」が「下北沢」である所以は「北部」にあるのでこのような表現にならざるを得ない。悪しからず。
以上。


あ、下北沢と言えば岡崎京子なのに、言及するのを忘れた。まあ、いいか…

*1:前に住んでいた横浜にも人が朝から酒盛りをしているような場所はあったが、はっきり言って荒んでいて怖い。下北沢で朝から酒盛りをしている人達とはまったく別な種類の人達だ。